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愛甲勝矢
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Created Date | 2013.08.16 |
Modified Date | 2020.10.26 |
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アイコウ カツヤ
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花田, 俊典
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スカラベの会
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Database Title | |
Biography |
1905(明治38)年3月11日、鹿児島県薩摩郡高城村麓(現・薩摩川内市)に生まれた。川内中学・第七高等学校造士館を経て九州帝国大学法文学部在学中、読書会に加わり、学連に参加、1925~26年軍事教育反対、福岡連隊差別事件糾弾、京大学生事件批判などで演説会を開いたため、楠元芳武、日高正夫、原登らとともに退学処分を受けた。のち八幡にあった全日本無産青年同盟福岡支部書記となり、26年11月検束。翌12月日農の事務に携わったが、すぐ上京して広島定吉のもとに身を寄せ、27年2月評議会関東地方評議会書記となり、同年6月労働農民党東京府支部常任書記を経て、7月同党福岡県支部連合会書記長となった(鶴和夫、藤井哲夫につぐ3代目)。同年8月、藤井哲夫のすすめで日本共産党に入党、福岡細胞長に就く。28年2月の衆議院総選挙で福岡4区から立候補した徳田球一の選挙委員会のメンバーになり、労農党フラクションとして応援した。3・15事件で検挙され、第1審で懲役6年、2審で懲役4年を科され、鹿児島刑務所で服役。34年出獄後、満洲に渡り、「満洲国」実業部臨時産業調査局に入り、満洲農村実態調査などに従事し、39年にはドイツのドレスデンで開かれた第18回万国農業会議に「満洲国」代表として出席した。また43年には満洲国治安維持法事件で取調べを受けた。敗戦後46年帰国、農林省農業綜合研究所計画部長を経て61年以降、九州工業大学・鹿児島大学・鹿児島経済大学教授を歴任、74年から南日本短期大学学長となった。〈著書〉『満洲における小作関係』1938、ほか。〈参考〉『日本社会運動人名辞典』(青木書店、1979.3)『近代日本社会運動史人物大事典』(日外アソシエーツ、1997.1)【坂口 博】
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Relation |
Record ID |
441430
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Rights |
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Created Date | 2013.08.16 |
Modified Date | 2020.10.26 |